令和元年十月三十一日未明失火焼失した首里城を偲んで首里城の思い出・・・

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首里城琉球国王が、訪中した際、訪れた紫禁城を参考に、風水にしたがい、首里の、こだかい山に作られた城です、初めて見た時、ん、紫禁城のミニチュアだと思った。

 

 中国皇帝に謁見するには、七つの門を通らないと会えないとされている、琉球国王もそれに習ったのであろう、七つの門を建設している、とかく、頂点に立つもの、天空の不動の星、「北極星」に準える様だ、日光の陽明門、も上空に「北極星」が輝くように、建てられている。「北極星」を探すには、まず、北斗七星をたどれば、「北極星」に辿り着くと言う訳だ。

 

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 まず一つ目の門は、1428年、尚巴志中山王により、中山門、またの名を(建国門)が建てられたが、さきの沖縄戦の戦時中、戦渦に焼失してしまい、今は無い、場所を、首里城社務所で聞いたが、戦禍で焼失、今は無い、今後も再建築の予定は無い、そうです、場所は、現在の首里高校のグランドの脇との事、行ってみると、グランドの脇の道の石碑にこの場所に中山門が有ったことが記されていた、形は、ほぼ守礼門と同じスタイルの様子だ。(門)と言うか扉が無いので、豪華な鳥居と言ったところか?

 

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 この写真は在りし日の首里城祭の時の琉球王の通過時の、守礼門です、大変な見物人で賑わっています。中山門と、この守礼門が、国門です。

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 十八時になるとライトアップされます。

 

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第三の門「歓会門」(かんかいもん)、別名:あまえ御門、 首里城の正門となります、ここから以降な。城門に成ります。城門なので、門には扉がついている。

 中国皇帝の使者、冊封使(さっぷうし)など、訪れる人への歓迎の意を込めて、その名がつけられた。中国の使者、冊封使を迎えるには、国王や三司官、が出迎えた様です。このオブジェは、首里城花まつりの時のオブジェです。

 

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 四つめの門(城門二つ目)「瑞泉門」別名:ひかわ御門、瑞泉とは、「立派なめでたい泉」と言う意味です。 写真は以前の首里城祭で、琉球王が

城下にお出ましになるときの写真です。ちなみに、琉球王・王妃は、毎年首里城中秋の名月に、一般公募で選ばれた方が一年間(琉球イベント毎に)出演します、あなたも応募してみませんか、”運悪く”選ばれたら、一年間は沖縄に滞在しなければなりません、滞在費は自腹ですよ。

 

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 瑞泉門の石段の中ほど(向かって右側)の下に、この龍樋、(リュウヒ)、湧き水、が有ります。かって、この湧き水は国王一族の大切な飲料水でした、「冊封使」が訪れた際には宿泊先の「天使館」まで届けられたそうです。大変分かりづらい場所に有るので個人で観光に訪れられた方達は気づかずに通り過ぎていきます、団体さんは、ガイドが説明しますので、運よく遭遇した方は何だろう、と見るので、そをいう方は、ラッキーな方達です。

 

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 五つ目の門、(城門三つ目)「漏刻門」櫓の中に水時計が有り時刻を計って時を告げたのでその名をつけて「漏刻門」 別名:かご居せ御門、身分の高い役人も国王に敬意を表してここで籠を降りた。 

 漏刻門の中庭には、日時計が出来て時刻もほぼ正確になったようです。その日時計の針が嫌に長く感じ、違和感があつたが、後に納得した、別の題目で、”沖縄を歩く人の影が消えてゆく”、で書きましたが、”それです”、読まれた方は、お解りでしょう。まだの方は、ばっくNO、で読んでください。

 この龍はある時期(毎年慣行されている首里城花まつり)のイベントでの展示されたブーツの一つです。ある年、突然政権交代が有り、それ以降、イベントが中止されてしまいさみしくなってしまった。

 

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 六つ目の門、城門、四つ目「広福門」(こうふくもん)、 別名:長御門

門を潜って中に入り、振り返って眺めた右側が戸籍を管理する、「大与座」(おおくみざ)現在正殿内入場券売り場、左側が寺や神社を管理する「寺社座」現在はトイレになっています。ここまでは無料区域です。

 以前は、花まつりには琉球王と、琉球王の象徴の四本爪の龍のモニメントが飾られ一段と華やいだ。

 

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 通常、龍の爪は五本だが、中国の皇帝の象徴も龍であり、五本爪だ、琉球王は中国皇帝の冊封を受けているので、中国皇帝に敬意を表し遠慮して四本爪にしたのだそうです。

 

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最後の、七番目の門、五番目の城門、「奉神門」(ほうしんもん)、別名:君誇御門(きみほこりごもん)、正殿に向かう最後の門、三つの入り口が有り中央の門は国王と身分の高い人だけが通れる門です。その他の役人は左右の門を使用します。

 

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 この首里城正殿が完全に焼崩れ落ちた宮殿です、残念でなりません。新しく再建されると思うが、(ジロが逝く前、には来訪出来ないだろうな)、

 

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 奉神門から

真っ直ぐ進むと国王の謁見の間から琉球王の謁見を受けることが出来る。

 通常は国王だけだが、イベント時は王妃も見れる、王妃は表の場、には出ないのだが、イベントだから盛り上げている。(注):通常は見れません首里城のイベントの時だけですから。悪しからず。

 

 

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首里城一階御差座。 首里城内も賢覧豪華な造りだ。

 

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首里城御差床、

 城内には沢山の龍の彫刻や絵が有りますが、龍の爪は全て四本です。

 

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 正殿二階の間

 

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 首里城の柱の模型、見た目は二階建てだが、実際は三階有ります。

 

 

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 沖縄に軽便鉄道が出来る、その前まで、那覇泊港から、首里城(現在の首里高校)まで、路面電車チンチン電車)が走っていたそうです。現在の、ウチナンチュ、でも知っている方は、極々少ない様です。 

 

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 当時、路面電車は単線で、ところどころですれ違い場所があったようで、ここ崇元寺前がその一つだったそうです。

 

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 路面電車は、首里大道から路面を離れ、単独軌道で首里迄山を走ったそうです。