世にも残酷な、真玉橋(まだんばし)の人柱伝説。
【この写真は豊見城公民館の舞台の緞帳です。】
尚真王は、三山の安司を首里に集めて各間切に代官をおき治めていたが、真玉橋は、首里と間切を結ぶ、重要道路だった。尚貞王の時代、真玉橋は、木橋から石橋に改修されるのだが、ところがこの国場川、干満の差が激しく橋脚を造るのに相当苦労し、何度も流された。
【戦前に既存していた「真玉橋」です。】
そんなある日、ユタ(神女・占い女)がやってきて、「子年生れで、七色の元結をした女を人柱にすれば橋は建つ」と告げた。役人たちは八方てをつくしたがみつからず。
【さきの沖縄戦で破壊された石橋の一部を拾い集め再現、移築。】
沖縄では、医者にかかるより、まずはユタがゆい、というぐらいユタを信頼していたという、占ったお礼の品々の中に綺麗な七色の元結も有った。その元結を持ち、しげしげと眺めて居るところに、お尋ねの女がどこにいるのか占ってもらいに来た役人、
ユタは慌てて元結を隠したが、必死の役人は見逃さなかった、そこてユタを調べたらユタも子年だった。
【戦後新しく架け替えられた現在の真玉橋です。】
神女は口出しした神話通り国場川の中に掘られた橋脚の穴に入れられ、土や石と共に埋められようとした、
神女は、嘆きかなしんでいる、一人娘に向かって神女は叫んだ。
「娘よ、これからはどんなことがあっても他人より先に口を聞いてはいけないよ。私がみせしめだよ」と。
その娘は以後、唖同様口をきかなくなった、と言う。
沖縄の諺に「むぬゆみ者や馬のさちとゆん」(おしゃべりものは荒馬の先を歩いているのと同じ様で大変危険。と言う意味。
この話は、あくまでも伝説であり、必ずしも史実と言う事ではありませんので悪しからず。