戦前沖縄に泊港から首里(現在の首里高校)までチンチン電車が走っていた。

バス停、「保栄茂」(ビン)について図書館で調べていたら、意外な記事を発見した。

戦前沖縄の市街地を「路面電車」(チンチン電車)が走って居たと言う。

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説明によると、泊港から、首里城迄単線だが、チンチン電車が走っていたと言う写真いりで記載されている。泊港近くに泊高こうと言う橋がありチンチン電車はすぐそばの鉄橋を渡っていたと。

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那覇の街中を走るチンチン電車。沖縄の様な小さな島にこんなのが走っていたのかと思うと驚きだ。この頃は車の姿の無く、人と路面電車とが共存していたのだ。と書いてある。

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崇元寺石門前にあった路面電車の停留所。那覇路面電車は単線で線路な一本しか無い為どこかですれ違わなくてはならない。ここはその場所の一つで上り電車と下り電車が交換した。このアーチ型の石門は珍しく、那覇のシンボルでもあった。この石門は戦後復旧され、今も当時の面影を偲ばせている。と書いてある。

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路面電車も、大道あたりから路面を離れ山道を専用路線で首里城まで向かったのでしょう。現代のウチナンチュでも軽便鉄道は知っているが、路面電車は知らないと言う方が多いのには驚きだ。