沖縄の地図の群部名の不思議
沖縄県は日本で一番海域幅の広い県で、北は、硫黄鳥島から南は与那国島迄、約715km、東は北大東島から、西は与那国島迄、約955km有る。沖縄本島の周りにも人の住む島々が多く点在している。
沖縄県を大きく分けると、島の北、部分を、「国頭郡」本島の中間を、「中頭郡」本島の南以南、久米島までを「島尻群」、と 「宮古郡」 「八重山郡」、に分かれている、
沖縄本島南部の地図、沖縄本島最南部が、「島尻郡」となりますので、南部の離島も「島尻群」となります。
南北、両大東島は本島南部の離島なので「島尻群」ですここまでは何の不思議も有りません。
不思議、なのは、次の地図です。
沖縄本島の最先端、国頭郡の更に北に位置する、伊平屋島、伊是名島、が何故に沖縄本島最南部の島である、島尻群なのか、 疑問に思いません?、ジロは疑問に思い調べました。ウチナンチュ(沖縄人)に聞いても、確たる答えは得られませんでした、
実は、琉球国王、第一尚家は、伊平屋島出身で、第二尚家が伊是名島出身、と言われている。第二尚家が、あの「北の松金」なのです、
その関係で、王家出身の地は首里城の管轄下にし管理した関係で首里城は昔、島尻群なので、島尻群になってしまったようです、現在両島の行政は「島尻群」のまま、「国頭郡」に編入されているそうです。