マグロの大トロよりも更に旨い「幻の魚」

その名は、「イングワンダルマ」、和名:あぶらそこむつ、主に南北大東島近海の深海で釣れる深海魚、しかしこの魚はある、曰わくがあり、一般に流通販売禁止処置になっている魚で、すごく旨いのに知られていない、「幻の魚」、なのです・

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頂いたイングワンダルマ

頂いたイングワンダルマ、はやや小ぶりで、全長約70㎝、丁度孫が夏休みで、来沖していたので、孫に、五枚に解体してもらった。

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孫は、当時小学四年生、起用に五枚に下ろしてもらった、何やら恐ろしげな口だ。

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魚の全身が白い油身だ、なぜにこの魚が流通販売禁止

になったかと言うと、旨いからと言って、食べ過ぎると、油が消化出来ず、意識なしに肛門から流れ出て、周りを汚してしまうからです。

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この魚を食べれる人はこの魚の曰わくを知っている人だけなのだ、釣りあげても売買は出来ない、漏れる量は人により異なる。機会が有って食す場合は、紙おむつを履いて限界をお試しあれ。

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この事をを事前に知っていたので、南大東島に行ったとき昼食の時食堂の亭主に、「イングワンダルマ」食べたいと交渉、干物を三切れ出してくれた。「これは料金に入っていませんから」と念を押された。店主はわたしは三切れが限界だと行ってました。悪いので、シマー(泡盛)を一本注文し酒の肴にいただいた。干物の炙りでもそれなりにおいしい。

沖縄で販売している牛乳パックの内容量は、本土より少な目だ。

 無料ブログの為容量制限オーバで消えてしまったので再度書き込む。

 沖縄で販売している牛乳パックの容量は、本土よりやや少ない。本土の大きいパックは、1000ml、小パックが が500mlだが、沖縄では、大きいパック は、

内容量表示が 943mlで、 小パックの表示は、473mlだ。しばらくの間、気がつかずに飲用していたが、ある日突然気がついた。ん、ん、何で?

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 色々調べたところ、沖縄は、戦後、米軍の統治下に置かれ、長い間米国の単位を使用していた。(その間27年間も)体積の単位は、米ガロン、車は左ハンドル、右側通行、通過は、米軍発行の、B円、だ。四分の一ガロン約943.35ml 八分の一バロン約473.17mlと言うわけだ。

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沖縄が米軍統治から、日本国に復帰戦後1945年から、27年後の1972年、徐々に、日本文化になじんで言ったが、牛乳パックの体積はそのままだ。

 いまだに米軍基地に、牛乳を納品販売しているからなのか? はたまた、牛乳パックの印刷機の変更費用・牛乳容積の機械の変更費用、等々でわずかな量で値上げされるより、この量で慣れ親しんできているので、値上げは勘弁ということなのか。

 来沖したら、コンビニで見て下さい。

旧暦一月廿日(女正月)のジュリ馬

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琉球国時代、琉球国事態で何ら、確たる産業も無くサバニ舟を漕ぎ海外との貿易品に活路を開いていた、

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サバニ舟の乗組員は三人から五人

 琉球船乗りが海外に出かけたのは、チャイナは無論、タイワン、フィリッピンビルマ、インド、までにも航海していた。

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 大海原を航海するにはこんなかんじのサバニなのかもしれない。諸外国に行き来していた時代の琉球の経済は大変潤っていたが、今から350年前の時代、薩摩藩琉球侵攻後、薩摩に海外貿易は、チャイナだけにさせられた為、首里王府の財政は繁追し、中国冊封使一行や中国貿易商人、さらには薩摩奉行役人等の接待のやりくりに逼迫。

 【昔は機械動力が無いから帆船だ、黒潮の流れ(5キロ~10キロの速度の流れで、北上している)に乗り南風を受け、琉球に来て、帰りは強い北風が吹くまで、琉球に滞在しなければならない。その費用は、冊封を受けている琉球国がすべて負担しなければならない。その人数5~600人にものぼる】 

 そんな時代背景の中、接待役として、外交上の一端を担ったのが、辻村のジュリ(尾類)達なのだ。

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 ジュリ(尾類)とは、沖縄の方言で遊女のことです。その由来は、琉球国王の命を受けた王女や、王女の侍女や、役人の娘を遊女に仕立てた彼女達から始まった女たちの集団、(大奥のような)と言われている。その後、生活苦の為犠牲になって辻村に身売りする農村の小女が多くなったと言う。

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 その辻村の世界をまとめたのが、獅子、ミルク(弥勒)神崇拝と、ムイメー制度と言われている。(ムイメーとは大奥のお局の様な教育・取り締まり役の女性)

 父に会えなくなった娘達が、ジュリ馬行列を計画して、旧1月廿日に、獅子舞とミルク神を先頭に、美しく着飾った芸妓達が馬首をかたどった板を、前帯に挟み、手綱を持って「ユイ、ユイ、ユイ、」とにぎやかに囃して街中を練り歩き、見物人にまぎれた父母に馬にも乗れる程裕福な暮らしが出來たと知らせたのが始まりと言われる。

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 王府の逼迫は、庶民にも影響、貧しさの中、親兄弟の犠牲になり、政治のぎせいとなって、辻に身売りされる子女が増え、彼女達は、この様な過酷な運命を受け入れながらも、歌舞音曲、料理、しつけ、言葉づかい、などの教養を身につけた、エリート集団なのです。通常遊女は、客の選り好みはできないが、辻村の遊女は、本土で言う、オイランくらすだから、客は選べる。

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 この由緒ある民族行事も那覇の婦人団体から、「男尊女卑」だ、とクレームをつけられ、1989年に中止され、2000年から再開され今日に至ります。

 この行事は、那覇市の、ハーリー祭り・大綱曳・の次ぐ三大祭りの一つだ、と言う人もいる。貴重な芸能祭り、末永く存続させたいものだ。
 

10月17日、は「沖縄そばの日」

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豊崎ヨナーズの沖縄野菜そば¥600-

10月17日は、「沖縄そばの日」とされており、当日

県内の沖縄そば店では、それぞれのサービスを行っている模様です。

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奥武山公園前の最強食堂沖縄そば¥180ー

沖縄そば、そば、と言っても、沖縄そば、には、蕎麦粉は一滴も入っていない、100%小麦粉と、かん水、で作られ、製法的には中華麺の一種に属する。

 吾輩が沖縄に来て、おっ、そばやがある、と入ってソバを注文して、出されたのが、ウドン?・・・あの~おそばを頼んだんですが?、と言ったら、店主が、沖縄では、これがそば、だ と言われ、シブシブ食べたが、ソバではない、が、うどんでもない、食感、今ではすっかり馴染みになってしまった。

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沖縄ゆし豆腐そば¥500-

何故、10月17日が、「沖縄そばの日」になったかと言うと、沖縄戦後、アメリカ統治から、日本国に復帰した後、全国生めん公正取引室より 蕎麦粉が(30%以上)入っていない麺は、そばと表示することは、まかりならん、とクレームが入り、長年沖縄そば、で親しんできた、沖縄そば関係者が、驚き慌てて、あしげく、東京の公正取引室に、沖縄の実情と、内容説明に、日参、折衝三年の甲斐あって、昭和52年、条件付きで、「沖縄そば」が認可された。

 更に、全国的な規模での正式認可をもとめて根強く折衝を続けた結果、昭和53年10月17日、「生麺類の表示に関する公正競争施工規制」に正式に追加承認され、「本場沖縄そば」で登録された。即ち戸籍誕生。

 この日を祝して「10月17日沖縄そばの日」が出来たのです。

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首里 石畳のそば屋

 沖縄そばの味はお店により微妙に異なる、

暑さ寒さも彼岸までと言うが、

沖縄ではまだまだ日中の気温は高い、夕方に浴びるシャワーは、いまだに水シャワーだ、沖縄の、春夏秋冬の気温の差は、あまり差がないのだ。冬の最低気温も、+14度以下にはめったに下がらない、真夏の最高気温も+34度以上にはめったに上がらない、草花も、勝手気ままに花が咲く。正月にコスモスの花が咲き、ヒマワリの花が咲く。

2月に桜の花とひまわりの花が咲いている。

しかし、彼岸花と、ススキの花は不思議と季節通りに花が咲く。

彼岸花の花は、赤い花に時々白い花が定番だが・・・

九州以南地域では、黄色い彼岸花が咲く。

本土ではなかなかお目にかかれない黄色い花の彼岸花

沖縄では城跡で時々よく見かけるが、季節の花だから、その時期でないとみられない花だ。

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ススキの穂とサトウキビの穂の違い

ススキの穂と、サトウキビの穂の違い、サトウキビは背丈が高く、穂はピンど上に立っている。

 ススキの穂は、背丈が低く穂が幽霊のようにウナダレているところから、正体見たり枯れ尾花。と言われている。

昨日、2020’7/30,コロナ・W過去最多の49人感染。

 ますます外出自粛、過去のアルバムを見ると、

 日本人船長その他4名乗船の、アウトリガーカヌー「サンデック・エクスプローラー号」が5月19日にインドネシアを出港し、フィリッピン・台湾、を経由して6月25日に那覇港に到着。

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那覇港に入港して来たサンデー・エクスプローラー号

わりと、大きなカヌーで驚いた。

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帆船サバニを想像してたので立派なカヌーだ

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那覇港到着、すぐに歓迎式が行われ。日本人船長は、プリンセス・テンコーの花束贈呈。

この後すくに、次の名古屋港に向かって出発した。

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 その後、平成19年6月25日PM6時半頃、「コスパス・サーサット衛星」が沖縄県残波岬の北方海域にて遭難信号を受信、那覇基地所属のYS-11(しゅれい)が直ちに那覇空港を離陸、現場に急行、

 転覆した、アウトリガーカヌーを発見、船腹に5名の人影を発見目印のマーカー(発煙筒)を左右に投下、直ちに潜水士2名を載せたヘリコプター出動PM8時40分頃潜水士2名を降下、その後遭難信号を聞いて駆け付けた漁船2曹が現場に到着、5名を漁船に引き渡し、救助完了。

 がっしりしたカヌーだが、帆船は、まともに突風を帆に受けると弱いんですね。

沖縄の”夏””と言えば「海」、帆船サバニレース。

 以前よく沖縄南部の、あちらこちらの海岸で、帆船サバニレースの観戦ができたが、最近あまり情報が入らない。場所を、中部・北部、に移したのかもしれない。

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アザマビーチハンセンレース①

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中には風の読みが悪く転覆するサバニも、帆柱があるので、復元は厄介だ。

 レース中、転覆する帆船も有り、あえなくリタイア、クルーは、救助されサバニは帆柱を外し、サバニは浅瀬まで曳航された。

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中にはサバニの両サイドに補助ブイを付けた帆船サバニも。

補助ブイが有っても、帆船の場合は、突風にあをられると、転覆する場合も有る。

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 中には風読みが面倒な帆船は、帆を下ろし、エイクだけでサバニを漕いでいるサバニも有

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今週のお題「花粉」

 沖縄の夏の風物詩つして良い眺めだ。コロナ感染防止の外出自粛で、過去のアルバムを紐解いた一時です。