沖縄の不思議 Ⅰ バス停のネーミング正確に読めますか?

 これは沖縄のバス停です。バス停のネーミングは、既存の建築物とか、地名とかが使用されますが、このネーミングは地名です。このネーミングを正確に読める方は、ウチナンチュ(沖縄の人)です、本土の方(ウチナンチュ以外)で読める方は、重度の沖縄病に患っている方かも,(笑)

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 このネーミング、ホエム、ホエイモ、と読むのは間違いです。下の☟看板に何やら仮名がふってあります。

 沖縄は台風の風が、50~60mと強いことが有る為か、何処のバス停も看板が倒れたり移動しない様に池面に埋め込んで有ります。

 

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 バス停看板を拡大しました☟、読み仮名がはっきりわかります。

バスに乗っていたら、案内のアナウンスが、次は「ビン」ですと言う、バス停を見ると、「保栄茂」と書いてある、バスの運転手に何であれをビンて読むのですか?と尋ねたら判らない、私もおかしいと思うが昔からそう呼ばれているから、と言う。

 仮名が、どれが、ビ、でどれが、ン、なのか、ふり様が無いので漢字と漢字の間にふってある。可笑しい(笑)。

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 不思議に思いある日そのバス停で降りて来たお年寄りに聞いたがやはり解らず。

市役所へ行って聞いてみたが、どの部署でもわからず。市の中央図書館で調べたが正解が出ず、いろいろ調べた結果これではないか?と思われる文章を見つけたが定かではない。

 昔琉球王が、中国との貿易の為、その道にたけた「つうじ」を要請、中国の「閔」(ビン)地域から36姓の閔人が来沖、沖縄に帰化したとある。

 36姓とは、より大勢のと言う意味らしい。「三十六圏逃げるが勝ち」(より遠くに)、と同じ意味で、その閔人、又は子孫が何人か保栄茂に住み着いたのではないか。

 それが、(保栄茂の閔さん)、(------)と呼んでいるうち、保栄茂が取れて、ビンさんと呼んでいるうち、保栄茂を「ビン」と呼ぶ様になったのではないかとジロの勝手な推測です。

 身近な例を上げると。

 あの有名な明治初期まで実在した、侠客、「清水の次郎長」 彼の本名は高木長五郎、子供の頃、母親の弟の山本治郎八の養子になり『山本長五郎』となる。子供の頃彼はウーマク(暴れん坊)で、近所から「治郎八さんの所の長五郎が・・・。」と言われていたのがいつしか「次郎長」が、と呼ばれる様になったと言う。「次郎長」と言うのは彼のあだ名で、生涯「次郎長親分」とよばれるのを嫌っていた「山本長五郎」だが、何時の間にか『清水の次郎長』と言う名が一人歩きしてしまった。と言うように。。

 地名なら苗字にもなるはず、と電話帳を調べた、「びん」では存在せず、「保栄茂」(ほえも)で数名既存していました。「閔」は当用漢字ではないですものね。