沖縄は一月、早くも春のきざし。

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 2020年の正月に秋桜が満開に咲き誇っている。

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 桜の花も、秋の季節は終わったのだぞと言わんばかりに秋桜に負けてなるものかと、咲き始めた。

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  可愛らしい桜の花も春を感じて咲き始めた。

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 桜の花も五輪以上咲き始めれば、開花宣言が出るのだから。この桜の木は観測基準の木ではないが、十数輪咲いているので、沖縄南部も、開花宣言されるだろう。

 沖縄北部、八重岳では、既に満開の木ぼ有ると言う。北部では、一月十八日~二月十六日迄の間、桜まつり、が開催されます。

 沖縄では、桜の花は北部の山の上から咲きだし、山麓に下り郷に咲きだし、北部から南下して(紅葉前線の様に)咲きだす。 これ、沖縄の常識。

2020年、明けましておめでとうございます。元旦の初詣、と新春の宴に行って来ました。

 2020年元旦には、奥武山公園の、沖縄県護国神社に初詣に行って来ました。

 

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 公園の神社周辺には、数本の桜の木が植樹してあるが、運が良ければ数輪の花が見られるのだが、今年は開花していなかった。

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 お参りを済ませ、お神酒を頂いて、初詣を終了。

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 公園で、昼食を済ませ、一休みして、モノレールに乗り、首里城の、新春の宴、の見物に向かった。

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 首里城は、相変わらずにぎやかで、外国人観光客でにぎわっている、チャイナ・コーリアンからの観光が多い様です。

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 正月の琉球芸能の宴の公演は無料で観覧できる、観光客対象なので20分~30分程度だが、一日から三日まで、午後一時から四時まで、四回公演している。時間により演目は異なる。

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 琉球古典音楽は、三線を弾きながら、音楽を奏でるのだが、一つの言葉、というより、一つの文字、例えば、「遭う」の場合 あ~~~~~う~~~~~、と一つの文字を強弱をつけて伸ばして歌い上げるので、場合によっては、眠気を誘われてしまう、

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 琉球舞踊、「若衆こてい節」若衆とは、十五・六才の、元服前の男が踊る若衆踊り。

未来の長い若衆が踊ることにより人生の幸先が寿ぎ、希望・大成・理想、などが描かれているのだそうです。

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 「本貫花」(ムトゥヌチバナ)、白瀬川に浮かぶ紅白の桜の花びらを糸に貫、愛しい人に贈ると言う内容の歌詞にのせて踊る、

 貫花の赤い花は情熱的な女の恋心を表し、白い花は純粋無垢を意味している。

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 「谷茶前」(タンシャメー)漁村の若い男女の働く喜び、生きる力が伝わる演目、

魚を捕りに行くのは男たち、それを売るのは女たちで、漁村の風景が明るく展開されている。 男はエーク(櫂)を持ち、女は海の幸を入れるバーキ(籠)を持って豊漁の喜びを踊る。

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 ここで、悲しいお知らせですが、この写真は、在りし日の、龍潭池(リュウタンイケ)越しに眺めた、首里城正殿(丘の上の建物、左側の三階建てのひと際高い建物)が、首里城正殿です。

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 それが、2019年10月31日未明の首里城が、不審火によろ全焼崩壊、御覧の通りに成ってしまいました、悲しい出来事です。

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 この写真は、京の内、から正殿に向かう石門から撮った在りし日の首里城正殿です。

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 ところが石門からは、首里城正殿は焼け落ちて跡形の無し、

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 この写真が、同じ石門から首里城正殿方向をとった写真です。三階縦の正殿はやけおちて跡形も有りません、手前の焼けた建物は、南殿に入り口の建物です。

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 京の内から撮った首里城正殿と御庭(ウナー)右手前の建物が、南殿入り口の建物。

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首里城の無残な姿に涙が止まらない。ジロの在命中に新しい首里城正殿にはお目にかかれないだろうなー

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 首里城七つの門の、最後の御門「奉神門」(ホウシンモン)額の有る門は国王や身分の高い人だけが通れる門です、休刊日、荒天候日以外の毎朝、AM8:25~8:45の間に「御開場式」(うけーじょうー)式が見られます。

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この「奉神門」の左側長屋の内側半分は焼け落ちてしまいました。

2019年、陸自祭に行って来ました。

毎年この時期開催される、第十五旅団、那覇駐屯地、陸自祭。最大のお目当ては、第十五旅団音楽隊の「演奏会」です。

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天気も上々なので最初の、観閲式から見物することにした、

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お目当ての十五旅団、音楽隊の演奏は、13時15分からなので、お弁当持参で出かけた、早くに出かけたので、グランドの土手の最前列に席が取れ最高の観覧が出來だ。

 

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 何せ基地内は広い、限られた時間に、全ブーツを見るのは大変だ、腰を据えて見物するブーツが有る限り、その場を動けば、二度とその場所には戻れないからな~。

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 隊員たちは、式典の為1時間前から、沖縄の炎天下で、整列、更に閲覧行進が終了するまで、約二時間程整列している。見物する人は、座ったり、移動したりしているからよいが、ご苦労なことです。

 

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 昨今の平時の時、戦車や装甲車が執拗かと思うが、いざと言う時、警察官ではおぼつかないから、日本国を守るには、やはり自衛隊は、やむを得ないのだろう。暴漢は警察でも守れるが、国家的暴挙は、警官では守れないからな~。

 

 

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 陸上自衛隊の音楽隊も、大勢の自衛官の娯楽のために執拗なのだろうな。 

 

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  沖縄ではなくてはならないと言うエイサーも 学校で言うところの、クラブ活動みたいなもので、訓練の合い間に、練習、活動しているのだろう。

本土で言えば、和太鼓隊とおなじだ。

 

 

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 陸上自衛隊と言えども、航空部隊は、機動隊 の一部として航空機も所持している、訓練の一環として素早い機動隊として、披露している。

 

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 迫撃砲の形道理の隊形を取り模擬弾を炸裂させてのご披露だ。

 

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 陸上自衛隊、航空隊による隊員の素早い敵陣近くえの移動降下訓練状況の披露状況。

 

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  今回も第十五旅団音楽隊の演奏会が、おめあなので一早く、最前列に陣取りました。

 

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 この楽隊は、航空自衛隊、南西航空音楽隊の招待参加の音楽隊、です、この指揮者がまた素晴らしく、小さな体、全体を動かしトークも交えての豪快な指揮っぷりです。

 

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 また時期的に、クリスマスの飾りつけの時期、クリスマスソングのメドレーで楽しませてくれました。黒の服装は、南西航空隊、コラボレーションえんそうです。

 

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南西航空隊楽団も、多くの懐かしい曲のメドレーで聞かせてくれました。 

 

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最後は第十五旅団音楽隊と、南西航空音楽隊のコラボレーションでの演奏で終了しました。この時、南西航空隊の指揮官から、来月、12月7日・8日の、空自祭で、音楽演奏会では、南西航空音楽隊をはじめ、ご招待の第十五旅団音楽隊・米軍嘉手納音楽隊・厚木基地音楽隊・地元沖縄の高校生の音楽隊、の五楽団コラボレーションを予定しいるとの事、是非行かなければ。

 

 

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帰りがけに初めて展示の、米軍の装甲車を見物した。その他いろいろ展示物が有ったが、目的の楽団演奏を重点にしていたのでその他はパスしました。 

 

 

離島フェアー2019に行ってきなした。

沖縄離島フェアー2019・奥武山公園、沖縄セルラーパーク那覇で、11月-15(金)・16(土)・17(日)、の三日間見物に行ってきました。

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 各離島、特産品展示即売会会場には、七コーナーに、139店舗、外部店舗には、離島食堂・離島居酒屋が16店舗で客が賑わっていました。

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 離島フェアー会場の見取り図です。

 

 

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 各離島特産品展示即売所の見取図です。

 

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 各離島の展示即売品の一部です。

 

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 売れ筋の食品は、初日に完売してしまったそうです、持参した商品が、売れ残って持ち帰るのでは、悲しいデスから、良かったのではないでしょうか。来年は売れ筋商品は大目に持って来るそうです。

 初日は平日なのに、完売するほど客足が多かったのだ。

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  毎年渡名喜の、魚の加工品が美味しく、購入している。今年のたんまり買い込んだ。

 

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 今年は、奄美諸島からも特別参加していた。 

 

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 黒糖は、ウージー(サトウキビ)のしぼり汁を煮込み冷やして固め、砕いて目方売りするのです。 

 黒糖は体内の余分なものを、排出してくれて、血管年齢を若返らせてくれるらしい。

 

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  久高島ののイラブーウミヘビも燻製、滋養のクスリなのであまり美味しいとは言えないが、体にはよい食品だ。

 

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 午後になると平日でも人足は多くなってきた、。

 

 

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  外のステージ広場では、各離島の芸が披露されている。

 

 

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  二日目以降は、各離島の芸網披露を楽しんだ。

 

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  各離島のユルキャラがそれぞれ、島の特産品の紹介の時間も有り、楽しいひとときである。

 

 

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  島の芸能と言えば、創作エイサーもさるものだが、三線で歌う島唄も素晴らしい。

 

 

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地方(ジカタ、かげで三線をひきながら歌う人の事)に合わせて踊る、沖縄の芸能。

 

 

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  宮古諸島の、ユルキャラ、ミーャちゃん。

 

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  八重山諸島の、ピカリャーくん。

 

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  慶良間諸島の慶良間太鼓、

 

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 勇壮な、慶良間太鼓。

 

 

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  セルラーパーク那覇の前は、那覇港、米軍軍港です。米軍の、大きなフェリーが停泊している、戦車でも運んできたのか?、でも戦車は、日本の陸自の戦車の方が優秀なのだ戦車砲も、スラロ-ム発砲で、百発百中だそうな。

 

 

 

 

 















 

 

第二尚氏王統の墓稜「玉陵の呪いの碑文」の謎

 

 尚円王が埋葬されている場所を整備し、父を尊敬していた息子尚真王が、そこに第二尚王統の玉陵(タマウドゥン)を築き尚円王の遺骨を移葬し第二尚王統、歴代の玉陵とした。

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玉陵(たまうどぅん)、たまうどぅん、の、たまは、魂・霊、のこと、 うどぅん、は、御殿。したがって、玉御殿・魂御殿・霊御殿、の事で、漢字表記では、「玉陵」と充てられ、これを(たまうどぅん)と読ませている。

 石板で破風屋根の墓室が三連の、豪壮な構えで、中央は、洗骨までの遺体安置室、手前、東室は、王・王妃の遺骨安置室、奥の、西室が、王子・王女ら、王の家族の遺骨の安置室になっています。

 (昔、琉球時代、明治時代、昭和初期まで、沖縄では、風葬でした、 遺体を二~三年放置した後、遺骨を、泡盛で荒い骨壺に収めて安置した)。だから、墓は大きく、墓前が広い。

 

 

 

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 玉陵の外庭には、尚真王の、生母である、宇喜也嘉、に書かせたと言う、呪いの碑文が建っている。そこには、この墓に入るべき人が列記されている。

 ところが、その記された内容が、異様なのです。

 ① 尚真王

 ② 王妃、すなわち尚円王の王妃、宇喜也嘉

 ③ 聞得大君尚円王の長女・尚真王の姉)

 ④ 真鍋樽(尚真王の長女)

 ⑤ 中城王子(尚真王五男)

 ⑥ 今帰仁王子(尚真王三男)

 ⑦ 越来王子(ごえく王子・尚真王四男)

 ⑧ 金武王子(きん王子・尚真王六男)

 ⑨ 豊見城王子(尚真王七男)

 異様なのは、尚円王の、王妃(正妻)・長男・二男の名が無い事です。宇喜也嘉、は側室なのです。尚真王は、宇喜也嘉、の子です。そして、五男が、三男、四男を飛び越えて前に来ていることです。

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 そして、さらに、碑文にはなにやら、恐ろしげな文が刻まれている。

碑文は、全てひらがなで書かれているが、琉球語なので意訳すると。

「もしも後にこの陵に入る、入らないで争う人あらば、この碑文を見なさい。この書付に背く人あらば、天に仰ぎ・地に伏して、祟ることであろう」

 

 さらに不思議なことに、この墓稜には、尚真王の母堂、宇喜也嘉、は入っていないのです、それは、尚真王の母えの断罪なのです。尚真王が即位した時、宇喜也嘉は、三十を越えたばかりの、女ざかり、ついには、みずからの閨にお気に入りの男を招き入れるようになり、現王の母が父のわからなお子を産むという前代未聞の大醜態、それが二度三度と繰り返され、こうして尚真王には、父のわからぬ、異父兄弟が出来てしまい、それらの兄弟は、尚円王の子らではない限り、王位を襲う資格は無いとわからせるために碑文を、母、宇喜也嘉に書かせたのだ。それで不問にふつはずだったがその後、王妃(正妻)と長男を、母、「宇喜也嘉」が暗殺していたことが判明、たびかさなる父、尚円王えの裏切り、母を許すわけにはいかず死後王族とは認めず玉陵には埋葬しなかったのです。

 

 この墓、「玉陵」には、別に異なる不思議が有ります、それはまたの機会に。

 

沖縄、地域のお祭り、「第36回とみぐすく祭り」、に行ってきました。

ウチナンチュは、お祭り騒ぎが好きなのか、二日連ちゃんとか、三連ちゃん、で開催される事が多い。

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今回もとみぐすく産業フェスタと同時開催で、11月9日10日と二日間、 会場は、豊崎・美らSUNビーチ、多目的広場で開催され、沢山のお店が展示販売を行っていた。

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会場は広く、13:00~で、まだ客足はまばらだ。

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ウチナンチュは夜型だから、我々が帰る頃には、賑わってくるはず。

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幼児の、遊び場も何か所か出来ている。

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数種類の味のドレッシング三本で千円、

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梅のあめ、スッパイマン、千円分の袋入りが、訳あり品、一袋400円、お祭り価格だそうです。

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 また他の場所ではBBQを楽しんでいる人もいる。

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野外ステージではフラダンスを踊っている。11月初めだから本土から北方はまだ泳げる。

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 見物の女性も暑いのか?シャツをまくり上げて見物している、 ま、いいか、ビ~チだから。

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 然し11月、立冬も過ぎたと言うに、屋外ステージで、海風(ウミカジ)の吹き付ける中、へそ(フス)出しスタイルで踊れるのは、狭い、日本の中、沖縄だけだろうな~

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 帰り際大きな建物の横を通って来た、建設作業員に何の建物が建つのですか? と聞いてみた、水族館が出来るんですよ~と丁寧に教えてくれた。この水族観ならほぼ外観は出来ているので、何とかジロの在命中にはこれそうだ。ウキウキする。

 沖縄は 17:00 時過ぎたが、この時期まだ太陽は出でいる、然し、朝の明けるのが遅くなるのです、だから、ウチナンチュは、夜型になるのかな~、 ウチナンチュの母親達も幼児を、21:00 頃まで、連れ歩いている、本土から見ると、考えられないが・・・

 

 追記

  水族館は2020年、春のオープン予定だそうです。

 

 

令和元年十月三十一日未明失火焼失した首里城を偲んで首里城の思い出・・・

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首里城琉球国王が、訪中した際、訪れた紫禁城を参考に、風水にしたがい、首里の、こだかい山に作られた城です、初めて見た時、ん、紫禁城のミニチュアだと思った。

 

 中国皇帝に謁見するには、七つの門を通らないと会えないとされている、琉球国王もそれに習ったのであろう、七つの門を建設している、とかく、頂点に立つもの、天空の不動の星、「北極星」に準える様だ、日光の陽明門、も上空に「北極星」が輝くように、建てられている。「北極星」を探すには、まず、北斗七星をたどれば、「北極星」に辿り着くと言う訳だ。

 

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 まず一つ目の門は、1428年、尚巴志中山王により、中山門、またの名を(建国門)が建てられたが、さきの沖縄戦の戦時中、戦渦に焼失してしまい、今は無い、場所を、首里城社務所で聞いたが、戦禍で焼失、今は無い、今後も再建築の予定は無い、そうです、場所は、現在の首里高校のグランドの脇との事、行ってみると、グランドの脇の道の石碑にこの場所に中山門が有ったことが記されていた、形は、ほぼ守礼門と同じスタイルの様子だ。(門)と言うか扉が無いので、豪華な鳥居と言ったところか?

 

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 この写真は在りし日の首里城祭の時の琉球王の通過時の、守礼門です、大変な見物人で賑わっています。中山門と、この守礼門が、国門です。

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 十八時になるとライトアップされます。

 

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第三の門「歓会門」(かんかいもん)、別名:あまえ御門、 首里城の正門となります、ここから以降な。城門に成ります。城門なので、門には扉がついている。

 中国皇帝の使者、冊封使(さっぷうし)など、訪れる人への歓迎の意を込めて、その名がつけられた。中国の使者、冊封使を迎えるには、国王や三司官、が出迎えた様です。このオブジェは、首里城花まつりの時のオブジェです。

 

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 四つめの門(城門二つ目)「瑞泉門」別名:ひかわ御門、瑞泉とは、「立派なめでたい泉」と言う意味です。 写真は以前の首里城祭で、琉球王が

城下にお出ましになるときの写真です。ちなみに、琉球王・王妃は、毎年首里城中秋の名月に、一般公募で選ばれた方が一年間(琉球イベント毎に)出演します、あなたも応募してみませんか、”運悪く”選ばれたら、一年間は沖縄に滞在しなければなりません、滞在費は自腹ですよ。

 

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 瑞泉門の石段の中ほど(向かって右側)の下に、この龍樋、(リュウヒ)、湧き水、が有ります。かって、この湧き水は国王一族の大切な飲料水でした、「冊封使」が訪れた際には宿泊先の「天使館」まで届けられたそうです。大変分かりづらい場所に有るので個人で観光に訪れられた方達は気づかずに通り過ぎていきます、団体さんは、ガイドが説明しますので、運よく遭遇した方は何だろう、と見るので、そをいう方は、ラッキーな方達です。

 

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 五つ目の門、(城門三つ目)「漏刻門」櫓の中に水時計が有り時刻を計って時を告げたのでその名をつけて「漏刻門」 別名:かご居せ御門、身分の高い役人も国王に敬意を表してここで籠を降りた。 

 漏刻門の中庭には、日時計が出来て時刻もほぼ正確になったようです。その日時計の針が嫌に長く感じ、違和感があつたが、後に納得した、別の題目で、”沖縄を歩く人の影が消えてゆく”、で書きましたが、”それです”、読まれた方は、お解りでしょう。まだの方は、ばっくNO、で読んでください。

 この龍はある時期(毎年慣行されている首里城花まつり)のイベントでの展示されたブーツの一つです。ある年、突然政権交代が有り、それ以降、イベントが中止されてしまいさみしくなってしまった。

 

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 六つ目の門、城門、四つ目「広福門」(こうふくもん)、 別名:長御門

門を潜って中に入り、振り返って眺めた右側が戸籍を管理する、「大与座」(おおくみざ)現在正殿内入場券売り場、左側が寺や神社を管理する「寺社座」現在はトイレになっています。ここまでは無料区域です。

 以前は、花まつりには琉球王と、琉球王の象徴の四本爪の龍のモニメントが飾られ一段と華やいだ。

 

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 通常、龍の爪は五本だが、中国の皇帝の象徴も龍であり、五本爪だ、琉球王は中国皇帝の冊封を受けているので、中国皇帝に敬意を表し遠慮して四本爪にしたのだそうです。

 

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最後の、七番目の門、五番目の城門、「奉神門」(ほうしんもん)、別名:君誇御門(きみほこりごもん)、正殿に向かう最後の門、三つの入り口が有り中央の門は国王と身分の高い人だけが通れる門です。その他の役人は左右の門を使用します。

 

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 この首里城正殿が完全に焼崩れ落ちた宮殿です、残念でなりません。新しく再建されると思うが、(ジロが逝く前、には来訪出来ないだろうな)、

 

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 奉神門から

真っ直ぐ進むと国王の謁見の間から琉球王の謁見を受けることが出来る。

 通常は国王だけだが、イベント時は王妃も見れる、王妃は表の場、には出ないのだが、イベントだから盛り上げている。(注):通常は見れません首里城のイベントの時だけですから。悪しからず。

 

 

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首里城一階御差座。 首里城内も賢覧豪華な造りだ。

 

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首里城御差床、

 城内には沢山の龍の彫刻や絵が有りますが、龍の爪は全て四本です。

 

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 正殿二階の間

 

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 首里城の柱の模型、見た目は二階建てだが、実際は三階有ります。

 

 

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 沖縄に軽便鉄道が出来る、その前まで、那覇泊港から、首里城(現在の首里高校)まで、路面電車チンチン電車)が走っていたそうです。現在の、ウチナンチュ、でも知っている方は、極々少ない様です。 

 

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 当時、路面電車は単線で、ところどころですれ違い場所があったようで、ここ崇元寺前がその一つだったそうです。

 

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 路面電車は、首里大道から路面を離れ、単独軌道で首里迄山を走ったそうです。