第二尚氏王統の墓稜「玉陵の呪いの碑文」の謎
尚円王が埋葬されている場所を整備し、父を尊敬していた息子尚真王が、そこに第二尚王統の玉陵(タマウドゥン)を築き尚円王の遺骨を移葬し第二尚王統、歴代の玉陵とした。
玉陵(たまうどぅん)、たまうどぅん、の、たまは、魂・霊、のこと、 うどぅん、は、御殿。したがって、玉御殿・魂御殿・霊御殿、の事で、漢字表記では、「玉陵」と充てられ、これを(たまうどぅん)と読ませている。
石板で破風屋根の墓室が三連の、豪壮な構えで、中央は、洗骨までの遺体安置室、手前、東室は、王・王妃の遺骨安置室、奥の、西室が、王子・王女ら、王の家族の遺骨の安置室になっています。
(昔、琉球時代、明治時代、昭和初期まで、沖縄では、風葬でした、 遺体を二~三年放置した後、遺骨を、泡盛で荒い骨壺に収めて安置した)。だから、墓は大きく、墓前が広い。
玉陵の外庭には、尚真王の、生母である、宇喜也嘉、に書かせたと言う、呪いの碑文が建っている。そこには、この墓に入るべき人が列記されている。
ところが、その記された内容が、異様なのです。
① 尚真王
② 王妃、すなわち尚円王の王妃、宇喜也嘉
④ 真鍋樽(尚真王の長女)
⑤ 中城王子(尚真王五男)
⑦ 越来王子(ごえく王子・尚真王四男)
⑧ 金武王子(きん王子・尚真王六男)
異様なのは、尚円王の、王妃(正妻)・長男・二男の名が無い事です。宇喜也嘉、は側室なのです。尚真王は、宇喜也嘉、の子です。そして、五男が、三男、四男を飛び越えて前に来ていることです。
そして、さらに、碑文にはなにやら、恐ろしげな文が刻まれている。
碑文は、全てひらがなで書かれているが、琉球語なので意訳すると。
「もしも後にこの陵に入る、入らないで争う人あらば、この碑文を見なさい。この書付に背く人あらば、天に仰ぎ・地に伏して、祟ることであろう」
さらに不思議なことに、この墓稜には、尚真王の母堂、宇喜也嘉、は入っていないのです、それは、尚真王の母えの断罪なのです。尚真王が即位した時、宇喜也嘉は、三十を越えたばかりの、女ざかり、ついには、みずからの閨にお気に入りの男を招き入れるようになり、現王の母が父のわからなお子を産むという前代未聞の大醜態、それが二度三度と繰り返され、こうして尚真王には、父のわからぬ、異父兄弟が出来てしまい、それらの兄弟は、尚円王の子らではない限り、王位を襲う資格は無いとわからせるために碑文を、母、宇喜也嘉に書かせたのだ。それで不問にふつはずだったがその後、王妃(正妻)と長男を、母、「宇喜也嘉」が暗殺していたことが判明、たびかさなる父、尚円王えの裏切り、母を許すわけにはいかず死後王族とは認めず玉陵には埋葬しなかったのです。
この墓、「玉陵」には、別に異なる不思議が有ります、それはまたの機会に。