幕末に生きた沖縄ゆかりの「 ジョン万次郎」

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 ジョン万次郎とは、江戸末期の幕臣で、四国は高知県(土佐)の出身で、本名は、中浜万次郎。1841年、友人数人と漁に出て遭難、アメリカの、ジョン船長の捕鯨船に救助され、ジョン船長にみこまれアメリカで、高等教育を受け、その10年後の1851年に帰国するが、当時の日本は鎖国状態、そこで琉球国(現、沖縄県糸満市)の、大度浜海岸にひそかに上陸、

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 糸満の大度浜に上陸後は、薩摩藩の役人に連行され、(現)豊見城市翁長の高安家に預けられ、約5か月間過ごした、

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 翁長の親雲上(オナガのベーチュン、=士族)であった高安家での外出は禁じられていたが、夜は地元の若者と交流し、綱引きなどにも参加したといわれる。

 鎖国の日本に帰国した万次郎たちは、長期に渡り尋問を受けたが、何とか土佐に帰ることが許された。また、ペリーの来航によって、アメリカの知識の重要性が増し、1853年、幕府に招かれ、幕末の外交にかつやくし、1860年に遣米使節団の一員として「咸臨丸」に乗船している。

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 2002年ジョン万次郎の子孫が来沖し、豊見城市翁長の、高安家を訪問、このヒンプンの前で151年の年月をこえて交流したそうです。