玉陵、遺体安置室に置いてある、豪華な石甕(いしがめ)の不思議。

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 王家の墓、玉陵の遺体安置室に豪華な石甕(いしかめとは琉球の骨壺のことです)が安置されてある。

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 これは玉陵資料館に展示されている、玉陵の内部見取り図の模型です。

手前の室が歴代王と王妃の骨壺の室です、その先の室が問題の死体安置所です、琉球時代から、明治そして昭和の初期までは、風葬で死体を、二~三年安置(放置)して骸骨になった頃、前庭に出し、泡盛で洗骨し石甕に収め、それぞれの、甕室に収めたのです。

 奥の甕室が、王子・王女等、王室の家族の甕室、です。

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 問題は、この遺体安置室に置かれている、王の石甕にも匹敵する石甕の謎、蓋には銘も、何も書いてないそうだ。

 資料室には、この件ではジロの見た時点では説明文は見当たらなかった、あとで、ある資料本で知ったのだが。

 

 尚真王の時代、玉城村前川に、玉城仁王(たまぐすくにおう)という評判の占い師がいた、ある年、王子が熱病にかかり、高価な薬もきかず、弱り果てていた。どんな名医でもなおせないことから、臣下の者達は、仁王に占ってもらうことにした。

 すると仁王は、「按司(アジ 豪族のこと)達の王族に対する恨みからくる病です」と言い。すぐに呪いをはねのける祈祷をした。王子はみるみる元気になり全快した。王は喜び、仁王に大時(吉凶占い)役職を与え、首里城下に住まわせた。こうして仁王は木田大時を名のり仕事に励んだ。しかし按司の中には妬む者もいて「木田は迷信たわごとを吐いている」と王に告げ口をしたそこで王は「按司」たちを、納得させるため、木箱の中に一匹の鼠を入れ、数占いをさせた。

 箱を眺めて居た木田は、おもむろに「五匹います」と答えた。王が再度尋ねても、「この首にかけても五匹です」と言い切った。

 王は、「さては詐欺師であったか」と不機嫌になり、やむなく木田を安謝海岸で処刑させた。王は不機嫌のあまり、箱を蹴飛ばした、すると、なんと親鼠と、子鼠が四匹出て来たではないか。親鼠はめすで箱の中で子を産んでいたのだ。

 王は慌てて部下を走らせ処刑の中止を言い渡したが、既に遅し、木田は既に処刑されていて海に流されていた、

 

 王は木田の呪いを恐れて、海岸の小石を三個拾いあげ、石甕に収めて、丁重に、王家の玉陵に葬った。のだと言う伝説です。